2011年04月09日

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ


最近ものすごく疲れています。
仕事でドタバタ、あっちへこっちへ走りまわっています。
疲れている自覚はなかったんですが、
読みたかった本を買ってきてウキウキしながら読んでいると
ピンポーンと。
Amazonで注文していた本が届きました。

……ウソ!(゚∀゚;)
今買ってきた本とダブってる!

二冊も手元にあります。
その本は先日アップした『その日のまえに』です。




内容(「BOOK」データベースより)
映画の字幕翻訳は、普通の翻訳と大きく違う。
俳優がしゃべっている時間内しか翻訳文を出せないので、セリフの内容を一〇〇パーセント伝えられない。
いうなれば字幕は、「要約翻訳」なのである。
映画字幕翻訳を始めて約二〇年、手がけた作品数は一〇〇〇本余りの著者が、外国映画翻訳の舞台裏、気になる日本語などについて綴る。



   **  **  ** 

読書メーターかなにかで見て気になっていた本です。

映画は字幕派ですか?吹き替え派ですか?
私は字幕派。
昔、字幕には字数制限がある、と聞いてからは
ますます字幕好きになっています。
(でもどっちでも楽しめちゃう)

1秒4文字の制限。
書くは簡単。
でも相当な労力ということが書かれています。

この本は太田直子さんが書かれたもので
代表作は『コンタクト』『17歳のカルテ』『シュレック2』
『ヒトラー 最期の12日間』
などなど。

うぉ!17歳のカルテ!
(この時のウィノナがめちゃくちゃ印象的)

さて、内容なのですが
字幕屋さんのエッセイですね。
裏方の愚痴……、嘆き、苦労がてんこもり。
趣旨から脱線はしょっちゅう。

でもそれが今の私には痛快で心地良かったです。
今心身ともに疲れているのでこのぐらいライトな本がちょうどいい。

「どこまで訳せばいいのか」
たとえば、
玉音放送のワンシーンが挟まれると日本人なら
「終戦」とわかるけど
他の国で放映されるとまったく理解することができない。
そこで字幕をどういれるか――。

米国映画ではキング牧師のワンシーンがよく挟まれたりします。
声だけの場合もありますね。
「I have a dream」と。
これ、けっこう知らない子が多くてびっくりしました。

ま、知らなくてもその映画自体は楽しめるとは思うんです。
でも懇切丁寧にここを訳すと、なんか野暮ですよね。

著者の言うように“間”を読むってのが楽しいんです。
本でいうなら“行間”を読むってやつですね。
多分、私が単純で白黒はっきりさせなくてもOK!な性格というのもあるかもしれません。


よく友達にも言われます。
『ねぇ、さっきの映画って何がいいたかったの?』って。
わかんなかったら雰囲気でもいいんではないのかい?
だめ?
『〜だと思うけど……』
『え!そんな意味があったん?』
知らないよぉ〜(´ω`;)


著者は言います
『世の中、そうなんでも、はっきりすっきりとはいかない。
ああでもないこうでもないと、迷い悩みつづけるしかない。
つまり自分の頭で考えること。
ありもしない絶対的な正確を求めるより、宙吊りのもどかしさに耐える訓練が必要に思える』



はい。もどかしさって好き。



ゆるい感じで気楽に読める新書っていいですね。

あぁ、だらだらと書いてしまいました。
著者の嫌いな
『誤字脱字文法破綻だらけの果てしない自慰的垂れ流し文』
をさらけ出しました。
すいません。


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ラベル:新書
posted by オハナ at 01:01| Comment(2) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

凶悪―ある死刑囚の告発―


出版社からのコメント
この本から、事件が動き始めた!
「他にも人を殺しています。警察はそのことを把握していません」。死刑判決
を受けた男・後藤良次が、獄中で衝撃の自白を始めた。被害者は複数人、そして
首謀者はまだ娑婆にいる----はたして、奴の話は真実なのか!?
告白を受けた雑誌記者は独力で現場を歩き、関係者への取材を開始した。やが
て、明るみに出てきた衝撃の事実とは......法治国家・日本の暗部を抉りだし
て、ついに警察をも動かした迫真の取材記録!


  **  **  **

数年前にテレビでちらりと目にした事件。
ある死刑囚が他にも殺人に関与した、首謀者はシャバを闊歩している、と告発。
事件そのものは知っていたが、どのような流れで上申書を出したのかということは知らなかった。
死刑囚が告発したのは、保険金殺人事件であり、関与したのは三件あるという。
新潮記者がそれを獄中からの手紙によって知ることになる。

嘘の告発の可能性も強かったが、接見を何度も試みる。
聞いてみれば、証拠が非常に少ない。
名前もフルネームで覚えていない。
遺体がない。
このような状態で記者は立件不可能にも思える事件を一つずつ調べていき、
警察に通報するまでを追っている。
この執念には頭が上がらない。

後追い記事ではなく、ゼロの状態からの進行記事を読むのは
当時の記者の追体験をすることができる。

なので、現時点で結果はわかっているのにもかかわらず、
読んでいる最中は、
「どうか、立件できますよう。起訴できますよう」
と祈りながら読んだ。

上申書保険金殺人事件の首謀者は無期懲役刑となった。
なんともやるせない気もするが、
少ない状況証拠と証言のみで有期刑ではなく無期となったのはすごいと思う。
今の無期懲役は仮釈放を認められることはほぼない。
実質の終身刑だ。


首謀者の残虐極まりない行為が白日の目にさらされてよかったと心から思う。
立件されたのは一件のみだったが、首謀者の周りにはたくさんの不審死がある。
まだ土の下で眠っているのかもしれないし、
自殺とみなされて荼毘にふされているかもしれない。


このように事件が明るみになるケースはまだいいが、
まだたくさんの未解決事件もあり、
不審死が自殺・事故とみなされているものたくさんあると聞いたことがある。
警察も起訴ができないものを事件として扱うのは難しいのだろう。
それでも、
まだ犯人が捕まらない、事件として扱われていないことに私は恐怖を覚える。

テレビでは連日いろいろなニュース事件を放送しているが、
真新しいもの、刺激のあるものが目立つ。
視聴率主義。それもわかる。
本当に知りたいことはテレビには求めても意味がないのだろうか。
だからこそ、この記者のような方には頑張っていただきたい。
是非とも公平の眼を持って、
刺激だけを追わず、真実を書いてほしい。


特に本書の最終章とあとがきはおぞましいものがある。
ノンフィクションとしては良本であることは間違いない。


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posted by オハナ at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

死刑でいいです



「私は生まれてくるべきではなかった」。そう言い残して2009年夏、25歳の若者は死刑になった。
16歳で母親を殺害し、少年院を出た後、再び大阪で姉妹刺殺事件を犯した山地悠紀夫元死刑囚。
ルポルタージュ。
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過激な題材と同様、中身は十分慎重にならざるを得ない内容。
私自身が大阪在住で、且つ当時友人が大阪姉妹殺傷事件を取材していて強く記憶に刻まれている。

この本の中に山地元死刑囚の直筆書が掲載されている。
「私は生まれてくるべきではなかった」この言葉をみて震えてしまった。
死刑を望んでいる被告人に対して、望み通りの死刑判決。
どうすればいい??これでよかったのか?

実母を殺害して、少年院送りとなって、出院してきたすぐの事件。
身寄りがいないため、生きていくこともできない。
そこで、福祉などが多少なりとも干渉していれば、姉妹は殺されなかったのではないのか――。

社会は「異常者」、「モンスター」と煽るだけ煽って、放ったらかし。
テレビでは、物知り顔で「異常者」と言われる人の心を「分析」したがる。
そして、不可解で異常な事件には何かと「名前」をつけて安心する。
それでいいのか?
障害の「名前」なんかは必要ではなく、ではどうすればいいの?ということではないのか。
私の頭では、どうすればいいのか答えは出ない。

「どんな理由であれ人を殺したんだから、死刑にきまっている」
殺人者は死刑。と過激な発言をよく聞くが、それで終わりなのか、排除して終わりでいいのか?
被害者遺族は死刑を求めても、そして死刑執行されても救われることはないのに。
そのあとのケアもなく、死刑執行されたことも教えられず・・・・・・・ここでもおいてけぼり。

量刑からして、死刑は妥当だろう。
しかし、腑に落ちない。

今、被害者遺族は地獄の日々なんだろう。私には想像すらできない。

* 
* 

当時の友人は記者で、寝ずにこの事件を追っていた。
被害者の生い立ちを知るうちに彼は、いつものように憤慨していた。
だが、山地の人となりを調べるうちに、「どう書いたらいいのかわからない」と珍しくぼやいていたのを思い出す。
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2010年09月12日

自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」



内容紹介
2001年に起きた、浅草女子短大生殺人事件。奇妙なレッサーパンダ帽をかぶった男が犯したこの殺人事件は、なぜ単なる「凶悪な通り魔」による殺人事件として処理されてしまったのか? 被害者の遺族、加害者の生育環境や裁判記録など、さまざまな側面から事件を取材し、自閉症の青年が起こした凶悪犯罪の取り調べ、裁判の難しさ、そして当人が罪の重さを自覚することの重要性を訴える問題提起の書。

**  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **

あくまで、この本は「障害をもっているから減刑を」といっているのではなく、
障害者の犯罪については、その障害の特徴を知った上での適切な配慮が必要だということが書かれている。
障害を持った人の取り調べ、裁判、刑・・・・・・・障害を持たない人と同じでいいのか?
サポート体制は足りているのか?
このままではいけないと警鐘を鳴らしている本。
しかし、ちゃんと被害者側と話をして、そのまま遺族の叫びも書いている。
どちらか一方的ではなく、真正面から書いている本で感心した。

すべての人に対して、福祉の手が届いていなかったとわかる。
このままでいいのか。
偽装して生活保護費を受給しているニュースや杜撰な福祉体制は、取り締まるべきだが、
メディアは、別の角度から切って議論をしてほしい。

被害者、遺族、被害者の恋人の描写は読むのがつらかった。
皆が自身を責めている。
あの時ああしていれば、その現場にいなかったのではないか――

遺族はマスコミにも憤っている。
「この国を腐らせているのはあなたたちではないか」
これには私も深く頷ける。報道のありかたを慎重に考えるべきだ。
裁判員になるかもしれないものからすれば、偏った報道があるかぎり公平な裁判はできるのだろうか。


加害者の妹の章では、思わず涙が出た。
若くして癌でなくなった女性は、ずっと家族を支えていた。
自分の治療費を稼ぐため、仕事をしていたらしい。
共生舎のスタッフに「これまで生きていて、楽しかったことはひとつもない」と言ったという。

いろいろな人に読んでほしい本。


posted by オハナ at 19:11| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心にナイフをしのばせて




出版社 / 著者からの内容紹介
1969年春、横浜の高校で悲惨な事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、
同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。「28年前の酒鬼薔薇事件」である。
10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、
事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失って
いた。そして犯人はその後、大きな事務所を経営する弁護士になっていたのである。
これまでの少年犯罪ルポに一線を画する、新大宅賞作家の衝撃ノンフィクション。
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警察白書を読むと、その時代において様々な事件があったのがわかる。
新聞の地方紙を読むと小さな事件や事故もわかる。
被害者がいれば加害者もいる。
少年が起こした事件というのは、センセーショナルでメディアは喰いつく。
事件をどの方面から切れば、よりいっそう国民が喰らいつくのか知っているんだろう。

事件の被害者遺族は、裁判が終わって、ニュースに取り上げられなくなっても事件は終わらない。
被害者もかえってこないし、事件前のような生活には戻ることはない。
同情することはできても、やはり当事者からするとどんな言葉をかけられようが「他人事」なんだと思う。
ニュースや新聞、週刊誌で取り上げられるたび加害者を糾弾する。
被害者はこのような人だったと、リアルに感じさせるために被害者の生い立ちなどをさらす。
それによって、加害者への糾弾がますます煽られるようになる。

被害者遺族の感情は実においてけぼり――なんて感じる。
ジャーナリストは正義感面している。
こんな人ばかりではないかもしれないが、こういった事件を扱うのには常に慎重でなければならない。

こんなことは言いたくないが、
奥野氏はなんの権利があってこのような本を書いたんだろうか。
確かに、確かにこの事件は残酷だ。
遺族の方の苦しみは簡単に言葉にあらわせれるものではない。
だからこそ思う。
最後の最後に、加害者少年Aの今が書かれている。
この部分は必要だったのか??

奥野氏の正義ってなんだ??
この本がきっかけで、大人になった少年Aがモザイク修正されてテレビに出ていたのを今も覚えている。

「今は弁護士になって働いている」
奥野氏は何が言いたいんだ??
少年Aがホームレスになっていれば満足だったのか??自殺でもしていればよかったのか??
決して私は加害者寄りではない。
ただ、第三者が裁いてもいいのか??

メディアに出た大人になった少年Aは仕事をやめた。
そりゃそうだろう。
この本を読んだ人、テレビを観た人たちがさらなる直接糾弾をしたりした。
「さぁみなさん、糾弾しましょう」
と煽っているかのようにこの本の後半は書かれてある。
そのように世間がなって、被害者遺族は喜ぶんだろうか。
遺族が「四半世紀が過ぎてやっと普通に暮らせるようになった」と書かれていたが、
それをかき回したのは奥野氏やメディア、第三者ではないのか?

この本を読んだ感想は、「恐ろしい」の一言だった。
メディアの恐ろしさははかりしれない。
正義を叫ぶが、それは正義なのか?

こういう事件を扱ったノンフィクションはいっぱいあるが、良本は少ないように思える。
感情的にならずにルポを書いてほしい。
作者の主観はいらない。お金を出してまで作者の主観に付き合うつもりはない。
それができないなら、事件ルポは書かないほうがいい。
posted by オハナ at 17:09| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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